島嶼部における歴史的町並みにみる景観保全制度の影響

 

研究代表者:藤田 康仁(東京工業大学環境・社会理工学院建築学系都市・環境学コース)

共同研究者:波多野 想(琉球大学 観光産業科学部)

共同研究者:服部 佐智子(東京工業大学)

共同研究者:畔柳 知宏(東京工業大学環境・社会理工学院建築学系都市・環境学コース)

 

【2019年度 共同利用・共同研究実績報告】

研究成果

1. 研究の目的
 島嶼地域は、一般に海洋資源を中心とした豊かな自然環境を保有する一方、本土や島嶼間の往来が容易でないという共通の自然的・社会的要件から、個々の島々に固有の歴史と文化を形成している。特に大規模な開発が行われてこなかった都市部からの遠隔地に位置する島嶼地域には、それぞれの歴史と文化を背景に、生活の蓄積として形成された独自の町並みが多く残されている。我が国における島嶼地域では現在、こうした町並みや景観を地域資源とみなし、様々な方法でその保全や活用が進められている。その一方で、伝統的建造物群保存地区制度や歴史的風致維持向上計画のように、特徴的な町並みや景観を制度によって囲い込むことで保全の対象とし、その活用が目指されてもいる。地域への移住の促進や観光地の魅力化等と関連づけられながら、町並みや景観の保全が計画されていく昨今の風潮を踏まえれば、地域の仕組みや関係主体の意識や取り組みに、上述のような保全制度がどのように影響するのか、あるいはそうした影響が景観に対してどのような変化をもたらすかを理解することは、地域社会が今後目指していく地域の将来像を考えるに当たって、一定の指針を示す点で重要と捉えられる。
 こうした背景を踏まえて、前年度の研究課題では、制度と町並み保全の関係把握を目的として、重要伝統的建造物群保存地区(以下、「重伝建地区」)として選定された竹富町竹富島集落、重要文化的景観(以下「文化的景観」)の一部として選定された小値賀町笛吹集落の2地区に着目し、両地区における現在までの町並み保全の経緯、景観構成要素の調査及び修理状況、活用に関わる団体の活動内容の対照から、制度が町並みやその保全に及ぼす影響を考察した。その結果、制度の導入を契機に実施された調査とその後の研究蓄積をもとに、集落の町並みにおける歴史的価値を定めながら、制度運用に際して発足した組織に住民を巻き込み、行政、住民、民間組織の連携体制を構築することを通じて町並みの保全を円滑化する手法の実効性を見出した。またその一方で、制度に依拠して活用の枠組みを設定するのではなく、NPOが歴史的町並みを島嶼にある資源のひとつとして捉え、資源全体を包括的に活用する方法を採ることで、産業の振興を図ることの可能性についても指摘した。
 2019年度の継続研究では、前年度の研究成果を踏まえ、我が国の島嶼地域に該当する地域のうち、前年度の調査対象の他に、歴史的町並みが残る地域として、「重伝建地区」に選定されている香川県丸亀市塩飽本島町笠島、「文化的景観」に選定されている沖縄県北大東村北大東島、保全にかかる制度を導入していない香川県多度津町高見島に注目し、島嶼部において用いられている景観保全制度の実際の町並みへの影響を明らかにすることを目的とする。
 具体的には、上述の地域を対象とした実地調査及び行政ほか関連団体への聞き取り調査を基に、現在までの町並み保全の経緯、景観を構成する要素の調査、修理、活用に関わる団体に関する現況把握を行った。また、前年度及び本年度の調査対象地区における修理物件数や社会人口増減、観光客数等、町並みの保全状況や地域の存続に関わる定量的な情報を入手した。さらに歴史的町並みとその構成要素の詳細な把握状況、行政と民間組織の取り組みと関係性、選定年度の違いや町並み保全の経緯等を用いている制度ごとに比較し、制度の違いによる町並みへの影響を考察した。なお、実地調査については、北大東島へは2019年10月(東京工業大学)と同年12月(琉球大学)の二度実施し、香川県の塩飽本島及び高見島へは2020年2月(東京工業大学)に実施した。

 

2. 対象とした島嶼地域の町並みの概要
 まず、対象の3地区について、既往研究及び各種報告書に記載された内容、現地での実地調査から、各島嶼地域及び町並みの概要、並びに町並みや歴史的建造物に関わる団体の概要について把握し、下記のように整理した。


<対象1:沖縄県島尻郡北大東村 字港集落>
 北大東村は、面積約13㎢の北大東島によって構成され、2015年時点で、589人が居住している(北大東村、『人口ビジョン・総合計画』、2016年)。
 今回対象とする字港集落は、北大東村における重要文化的景観の構成要素のうち、主に一連の町並み、町割を構成している地区である。北大東島では、燐鉱石の採掘を目的として明治末期に入植が進み、東洋精糖によって大正期に採掘が本格化する。東洋精糖は、戦前まで実質的に島の行政や整備を担い、燐鉱山に近い北西部や西港に面した本集落には、燐鉱石の採掘に伴う貯蔵庫や船揚場等の一連の生産施設や労働者の住宅、生活施設等が建設された。採掘は戦前まで続けられ、戦後も米軍の指導下で1950年まで採掘が行われたものの、品質低下や市場価値の下落に伴い鉱山は閉山された。これ以降、島の主要産業はサトウキビ栽培と製糖業へと移行した。また、1946年には村政が敷かれたことで、北大東村として現在と同様の行政機構に組み込まれたことに伴い、行政の中心が島中心部の集落へと移された。空港が整備される1978年までは、西港が島の物流や交流の拠点とされ、集落も一部が活用されていたが、現在は居住者が減少し、島の強い環境圧によって燐鉱山関連施設を中心に損壊が進行している。
 こうした大正期を中心に建設された燐鉱山関連施設群に対して、沖縄県や琉球大学、経済産業省の近代化遺産調査によって価値が認められ、2007年には旧東洋精糖リン鉱石貯蔵庫や旧東洋精糖燐鉱石積荷桟橋などの複数の施設が国の登録有形文化財となった後、2017年に燐鉱業に関連する施設群が「北大東島燐鉱山遺跡」として国指定史跡にそれぞれ指定され、2018年には字港を含む燐鉱山関連施設群が「文化的景観」として選定がなされるに至った。「文化的景観」への選定に先立って、2016年には、村が事務局を務める北大東村健康ウォーキング推進事業実行委員会の企画による遺跡を巡るウォーキング大会が行われた他、文化的景観への意識啓発を目的とした教育委員会主催のワークショップや青年会による燐鉱石採掘場跡清掃活動が実施されるなど、村民の参画を図る取り組みがなされてきた。また同村は、水産業の展開に向けて、漁港を整備する他、2012年から2014年までの間、水産庁の支援を受けて産地水産業強化支援事業を実施し、水産加工施設の整備や魚市場の改装と併せて、文化的景観の構成要素である北大東島出張所の遺構を、海洋レジャーと文化財を資源とした観光交流拠点(りんこう交流館)へと活用を図っている。現在この施設では、燐鉱山の歴史の展示の他、地元民間企業による地場産品を活かした食堂の運営が行われている。また、「文化的景観」の保存計画によると、将来的には、燐鉱業だけでなく、糖業等も含めた島の開拓によって形成されてきた景観を調査、保全していくことも想定されている。


<対象2:香川県丸亀市塩飽本島 笠島集落>
 香川県と岡山県に挟まれた瀬戸内海上を占める塩飽諸島を構成する島のひとつである塩飽本島は、丸亀港の沖に位置する面積約63㎢の島で、現在は319人の島民が居住している(丸亀市、『平成27年1月の常住人口』、2015年)。
 今回対象とする笠島集落は、中世以来、漁業及び海運業により発展した本島にあって、当時活動した塩飽海賊の根拠地として笠島城が築かれた場所と推察されている。この塩飽海賊は、戦国期には地域の統治者によって海戦や海上輸送の担い手として重用され、江戸期になると、塩飽島民650人は幕府の御用船方として、士分でないにもかかわらず塩飽全島1250石の領知を許された。本島には勤番所が置かれて塩飽諸島の行政の中心地とされ、笠島浦港は、優良な碇泊地、修理地として栄えた。その後、全国的な廻船業の成長に伴い、塩飽諸島の住民は水夫から大工の分野に進出し、出稼ぎに出たことで各地に塩飽大工の名を残した。笠島浦港の港町にあたる笠島集落でも、江戸中期以降には多くの大工を輩出している。大工は、島に土地家屋を残したまま他国に出て職に就いたため、高度成長期の影響を受けず現在まで江戸後期の地割や建造物、寺社が残されている。1875年になると、塩飽の各島が村政となり、本島も本島村とされた後、1954年に丸亀市へ編入された。
 1977年には、行政によって浦集落の保存対策調査が実施されたものの、住民の理解が得られず「重伝建地区」の選定には至らなかった。その後1982年に住民を中心に笠島まち並保存協力会が結成され、改めて1985年に選定されるに至った。選定後には、修理修景事業に加えて道路整備や電線の移設が実施される一方で、修理された建造物が笠島町並保存センターや文書館として活用され、内部の公開も行われている。施設の指定管理や家屋の小修理、敷地の草刈り等については、上述の保存協力会が実施している。現在、地区の住民は34人となっており、空き家が増加しているが、2013年以降は、瀬戸内国際芸術祭の会場とされ、展示等に空き家が利活用されている。

 

<対象3:香川県仲多度郡多度津町高見島浦集落>
 高見島は、多度津町に属し、塩飽本島と同じく塩飽諸島に位置する面積約2㎢の島で、現在は27人の島民が居住している(多度津町聞き取り調査結果より)。
 上述の塩飽本島と同じく、中世より漁業と海運業により発展し、江戸期は人名によって統治されていた。島には当初、自然発生的に浜集落及び旧浦集落2つの集落が生まれたと推察され、現在の浦集落は、北部の旧浦集落が江戸期に火災に見舞われ、その後の移転を受け、計画的に造成されたものである。島の生業については、本島と同様の経緯を辿るもので、明治初期の時点で、総戸数195のうち大工が96戸、農業46戸、漁家32戸とされるが、昭和期になると農業と漁業が主産業となる。現在では、数名が漁業に従事するに留まっている。1890年に村制が施行され、高見島村として発足した後、1956年に多度津町に編入した。1977年に伝統的建造物群保存対策調査報告書が作成されるが、既に過疎化していた集落の住民の反対により、「重伝建地区」への選定は行われず、景観保全等の取り組みが行われないまま現在に至る。伝統的建造物が密集する浦集落の山側地域は既に住民のいない状況にある。
 2013年から同島は瀬戸内国際芸術祭に参加し、浦集落や浜集落に残る伝統的建造物を活用した作品の制作、展示が行われ、その一貫として老朽化した建造物の補修等、建物自体を作品として取り込むような、不可逆的な改変を伴う建造物への介入を芸術家が実施している。この芸術祭には主に京都精華大学が関わっており、継続的な町並みへの関与が認められるとともに、芸術祭の開催を契機として、空き地の整備を目的に島外の町民を中心に民間団体「さざえ隊」が設立され、島内の土地の維持管理にあたっている。

 

3. 対象とした島嶼地域の町並みの概要
 本年度における調査地域と前年度の調査地域について、島の特性と制度の影響を考察するために、選定前後の状況に着目して、A.「重伝建地区」である竹富島集落(1987年選定)と笠島集落の比較、B.「文化的景観」である笛吹集落(2011年選定)と北大東島の比較、C.「重伝建地区」の島嶼地域に共通する特徴、「文化的景観」の島嶼地域に共通する特徴と浦集落の比較を行う。

 

A.「重伝建地区」である竹富島集落と笠島集落の比較
 まず、両島及び両集落を比較すると、竹富島は約5㎢で人口362人、塩飽本島は約6㎢で人口319人となっており、島の面積と現在の人口規模の観点から同規模と捉えられる一方で、竹富島は独立した自治体であるのに対し、塩飽本島は合併によって人口11万余の丸亀市の一部となっている。また、竹富島集落は「伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているもの」として1987年に「重伝建地区」に選定され、地区面積約38ha、伝統的建造物数112件であるのに対して、笠島集落も同じく「伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているもの」として1985年に選定され、約13ha、伝統的建造物数111件であり、笠島集落の方がより高密に伝統的な建造物が存在している。こうしてみると、両集落は「重伝建地区」選定範囲の面積や自治体における行政上の位置付けの点で異なるものの、立地している島の規模、「重伝建地区」への選定時期、文化財として認められている価値、伝統的建造物の数の点でおよそ類似した地区とみなすことができる。
 続いて、両集落における町並み保存について着目すると、竹富島、笠島両島に共通して、選定前に住民による町並保存団体が設立され、選定後には施設の維持管理等にあたっていることから、両集落において住民における町並みの保存意識は当時から比較的高かったものと捉えられる。また、伝建地区制度に則った集落の建造物の修理修景は、平成30年までに竹富島集落で修理86件、笠島集落で修理72件、修景16件となっており、選定からの期間、町並みの規模を勘案しても「重伝建地区」として標準的な、年間3件程度の修理修景が進められている。行政による修理修景事業以外の保存に関係する活動内容をみると、竹富島集落では、大学の研究者による町並みの構成要素に関する研究がなされるとともに、住民組織による建造物の維持等に関わる文化の継承を目的としたワークショップ等が開催されているのに対して、笠島集落では、住民が組織したNPO法人による修理に対する小規模な助成や空き地の維持管理、在野の研究者による笠島集落に由来する塩飽大工に関する調査研究が行われている。また、笠島集落における聞き取りにおいては、丸亀市街に居住しながら、同集落に所有する建造物を維持する世帯も多いとの指摘もあった。以上を踏まえると、竹富島集落では、伝建地区制度が主眼とする外観としての町並みの保全だけでなく、町並みと人々との伝統的な関わり方が明らかにされ、それをも地域で共有し継承しようとする住民がいる一方で、笠島集落では、専ら景観の維持や塩飽諸島の歴史に関する調査が進められ、現在の町並みと人々との関係性を保全する活動までは認められない。
 ここで、両島における産業について着目すると、町並みを構成する建造物等が建設されて以降、その町並みを成立させた基幹産業が他の産業へと転換された後に、「重伝建地区」に選定されている点で共通しているが、竹富島集落では、選定前の段階で観光地として一般に認知されていた上、外部からの観光開発に対抗して、住民が文化の継承と観光産業を両立させるために選定を受け入れた経緯がある。その結果、「重伝建地区」の観光活用が現在も引き続き行われ、町の基幹産業となるに至っている。それに対して、笠島集落ではこうした観光開発は選定当時より志向されず、「重伝建地区」への選定に際しては、町並みの保存自体が企図されていたとみられる。現在では、塩飽諸島の他の島とともに、笠島集落も瀬戸内国際芸術祭に参加しており、観光業への参入も認められ、集落自体は観光の対象となってはいるものの、飲食店や宿泊業等の観光事業者は現在も数件に留まり、産業を通した町並みと人々との関わりは薄れているといえる。
 また、選定以前における両島の人口について、島ごとの比較を行うことができる統計として、塩飽本島が合併される以前である1950年のものをみると、竹富町で9,908人、1950年に本島村で3,588人となっている。面積としては同規模の両島ではあるが、高度経済成長前の時点で大きな人口差が見受けられることから、今日の人口を踏まえると、竹富島では急速に人口が減少してきたのに対して、塩飽本島では高度経済期以前から長い時間をかけて人口が漸減してきたものと推察される。換言すれば、竹富島集落では笠島集落に比べて比較的人口が多い状況がかつてあり、住民の「体力」があるうちに町並み保存とその体制づくりを進めることができた可能性が考えられる。また2018年における社会人口の増減率をみると、竹富町で1.62(%)、丸亀市で-0.03(%)となっており、高齢化も進む中で人口が減少し、空き家が増加している笠島集落に対して、竹富島集落では人口が維持できる状況にあるといえ、上述のような産業の有無が現在の人口の増減に影響を与え、町並みのあり方にも違いが現れていることが推察される。
 このように、伝建地区制度を活用する両集落においては、住民による施設の維持管理等に認められるように、町並みの保全に対する住民意識が比較的高い点、制度に基づいた町並みを構成する建造物の修理が多くなされている点で共通している。竹富島集落では、竹富島集落が選定以前にある程度の人口を有し、選定以前に観光地として認知されていたことに起因して、「重伝建地区」への選定を契機に主産業が観光業へと転換された結果、現在では社会人口に増加傾向が認められ、将来的にも人口が維持できる可能性を見込める状況が出来している。これに対し、笠島集落では、建設業に従事する人材の島外流出後は、産業の変化に対応できておらず、集落を成立させる基幹産業の消滅の中で、町並みの外観の維持という伝建地区制度の枠組みに沿って形式的に保全が進められてきた結果として、状態のよい形での町並みの維持が成し遂げられている一方で、維持してきた町並みと生業との関わりが薄れていくことで、人口減少が進み、集落の維持も困難となる現況が認められる。またこうした担い手数の違いは、竹富島集落において、観光地として魅力を有効に活用しながら町並みと人々との関係性を含めた文化の保全が進んでいるのに対して、人口の少ない笠島集落では、空き家が増加するなかで町並みにおける外観の保全が進む一方で、建造物の活用や文化の継承には停滞も認められているといえる。従って両集落では「重伝建地区」として共通して、町並みが地域的特色を有し、その保全の継続が認められるものの、町並みにおける建造物群と人々との関係性は異なるものと捉えられ、両者の関係性が弱まっているといえる笠島集落においては、町並み自体は制度の準用によって将来も継続できる可能性はあるものの、そこに生じていた文化の継承にも限界が生じる恐れがある。

 

B.「文化的景観」としての笛吹集落と字港集落の比較

 まず、両島及び両集落を比較すると、小値賀島は約12㎢で人口2396人、北大東島は約13㎢で人口589人となっており、島の面積は同規模である一方、人口規模には差異が認められる。選定以前における両島の人口として、前分析と同様に1950年のものをみると、小値賀町で10,968人、北大東村で1,087人となっており、同規模の島ではあるが、高度経済成長前の時点で大きな人口差が認められる。また、平成30年における社会人口の増減率をみると、小値賀町で-0.60(%)、北大東村で1.75(%)となっており、漸減する小値賀町に対して、北大東村では人口減少に歯止めがかかっている。
 文化的景観については、笛吹集落は「小値賀諸島の文化的景観」の一部として2011年に重要文化的景観に選定され、字港集落は、その一部が2017年に国史跡に指定されたのち、2018年に重要文化的景観「北大東島の燐鉱山由来の文化的景観」の一部として選定されている。保存対象とされる文化的景観の構成要素をみると、笛吹集落は、農業を主とする笛吹在と、漁業及び商業等を主とする笛吹浦に大きく区分された上で、建築群、石垣、井戸や水路を含む集落の主な地区において民地として人々が居住している建造物やその付属施設が景観の構成要素とされ、集落と生業が行われた空間とそれらの中で育まれた無形の信仰や集落間の繋がりに価値が認められている。一方の字港集落では、構成要素として燐鉱山に関係する施設や構造物が多く特定されている他、現在にまで引き継がれている荷役の風景や魚市場の機能といった無形の要素も含まれており、燐鉱産業が盛んだった時期だけでなく、閉山以降の活用を含めた物件の価値づけがなされている。ただ、一部の施設が燐鉱山閉山後も、製糖会社の社員寮、島の農業振興のための土木工事に従事する作業員の宿泊に用いられてはいるものの、今日まで継続的に使用されている住宅及び施設は少数で、多くは行政や製糖会社が保有するだけの遺構となっている。すなわち、笛吹集落では景観における主要な構成要素である建造物や付属物が生活を通して現在まで活用されているのに対して、字港集落においては、現在も続く機能等の無形の要素や、産業に関係する建造物について、閉山後の活用も含めた構成要素の価値づけがなされながらも、実態としては現在の村の産業との結びつきは薄く、凍結的に保存されている状況にあるものと捉えられる。
 続いて、町並み保存について着目すると、小値賀町では、自治体の合併否決を契機として近世以降から続く漁業に加え、観光産業の振興が進められており、笛吹集落では古民家ステイ事業として、NPO法人による伝統的な建造物の活用が進められている。また世界遺産への登録に必要な町の歴史的資源の保存方策として「文化的景観」への選定が行われた経緯がある。一方、北大東村では、現在の村の主産業は他集落で進められている農業であるものの、字港集落において「文化的景観」選定以前に、燐鉱採掘時に事務所として用いられていた建造物を水産庁の助成金によって復元し、海洋レジャーの拠点及び展示施設への活用が行われている。また、若手漁業者向けの新築住宅が「文化的景観」に配慮されて建設されてもいるように、観光や漁業を振興に関係する行政施策の対象としても「文化的景観」の構成要素が位置付けられ、燐鉱山閉山後の港湾機能を活用しながら、集落における新たな産業創出の途上にある。このように両集落とも、「文化的景観」への選定は行政主導で進められ、いずれの集落も行政によって進められている産業振興の中で位置付けられているとみなせる。また、現在も文化財としての価値の住民への認知を目指した啓蒙活動が継続的に行われている点でも共通していることから、「文化的景観」として選定されながら、景観が有する歴史的価値への地元住民の認知が比較的低い中で、産業振興において「文化的景観」の活用を図る難しさを抱えている状況を指摘できる。
 このように、文化的景観の制度を活用する両集落では、選定前から産業転換が進められ、選定後から行政が主導して「文化的景観」に対する意識啓発が図られている点でも共通しており、住民の意識向上が課題となっていることが推察される。事実、北大東村の行政関係者に対するヒアリング調査で得られた、文化的景観の価値への意識の実態にも認められたように、行政においては、景観に見出される、地域の象徴としての価値に加え、歴史的価値も併せて住民と共有しながら産業振興に活用することの必要性が認識されている(琉球大学による聞き取り調査)。その上で笛吹集落では、住宅や住まいに関わるものとして景観構成要素が生活の中で自然に維持されている現状にはあるが、人口減少は緩やかに続いており、将来的に景観の維持管理の担い手である生活者の不在が景観の持続性における課題となる可能性を指摘できる。これに対し字港集落では、活用されなくなった産業遺構が景観の多くを占めており、積極的な保存を行わなければ、環境圧の影響で維持ができない一方で、遺構の一部が国史跡に指定されたことで遺構の劣化への一定の歯止めもかけられた状況とも捉えられる。また、同村の社会人口が維持できている状況を踏まえると、市民の意識向上と合わせて施設の活用に反映させることができれば、将来営まれようとしている生活が生み出す景観をも含めて定められた「文化的景観」の価値を存続させることができる可能性があるといえる。

 

C.「重伝建地区」の島嶼地域に共通する特徴、「文化的景観」の島嶼地域に共通する特徴と浦集落の比較

 浦集落における建造物群の状況として、1977年に発行された保存対策調査報告書をみると、大正期までに建築されたとされる建造物が59件認められ、現在では、その約半数が腐朽等によって損壊している。
 上述したような「重伝建地区」や「文化的景観」の制度を活用する集落に対して、浦集落は「重伝建地区」に匹敵する歴史的な町並みが残存していたものの、住民の同意が得られない等を理由に選定を受けないまま現在に至り、集落の居住者はいない状況となっている。人口減少の傾向は同じ塩飽諸島に所在する笠島にもみられることから、直接的に制度の有無のみが住民不在の要因とはいえない。一方で、浦集落では半数の建造物が損壊し、居住できない状況であるのに対して、笠島集落では空き家となっても大きな損壊は認められず、町並みの多くが維持されていることから、町並みの保全に対する「重伝建地区」の効果とも捉えられる。
 2013年より本島及び高見島で開催されている瀬戸内国際芸術祭における展示形式に着目すると、笠島集落においては、「重伝建地区」の制度上、外観の復元的修理が求められることから、芸術作品の展示場所として建造物が活用されるに留まっているのに対し、浦集落においては、建造物そのものを展示作品として外観に芸術家が手を加える例や、芸術祭に喚起され、島外に居住する不動産所有者以外の人々が定期的に島の土地を維持する例に認められるような、制度が規定する歴史性の保持に囚われない建造物や土地の維持と活用が認められる。従って、居住者がいなくなった町並みに対しては、伝建地区制度に基づいて所有者等が修理費用を負担し、外観保存をする制度上のルールを設けるだけでなく、高見島のように、歴史的な建造物の保存とは異なる目的や意図を据えて、制度外における有効な価値を見出し、外部から手を加えることで、町並みの歴史性が十分に保持されなかったとしても、町並みと人々の関係を再開・継続できる可能性もあるといえる。一方で、「文化的景観」に選定されている字港集落では、荒廃し活用されていない施設群の将来的な活用を模索する状況にあるが、施設群を燐鉱山に由来し、閉山後も多様に活用されてきたものとして「文化的景観」に位置づけた上で、島の開拓以降の生活と文化の歴史全体を捉えることで、将来的な活用をも含めた文化的景観としての価値を更新しながら、景観と住民との関係を持続していく枠組みが整備されている点に、制度運用上の可能性がある。

 

4. まとめ
 以上のように、調査結果を概観すると、前年度の調査でも指摘した通り、限られた地域資源を保全し、産業にも活用しようとする、島嶼地域における生活や地域社会を持続・存続するための狙いや意識に基づくと推察される、町並み保全制度の活用が認められる。
 笠島集落及び浦集落では、竹富島集落と比べて選定以前の段階で、観光産業が重視されなかった状況下に町並みが残されており、戦後以降比較的少ない人口の中で現在に至っている。「重伝建地区」に選定されている笠島集落は、制度に基づいた修理修景によって空き家となっても外観を留めており、制度による町並みの維持が成功していると捉えられる一方で、制度に依拠しない浦集落では、瀬戸内国際芸術祭への参画の中で、損壊している空き家に対して非復原的修理や芸術作品化を行うことで、「重伝建地区」では行うことができない建造物の活用が進められていることがわかった。こうした状況は、「重伝建地区」に選定されることで、人口減少下であっても、制度による助成などに基づいて町並みを維持し、建造物や町並みの需要を伸ばす何らかの契機があれば、町並みへの居住を再度推進できる状況を構築することが可能であると同時に、制度的な規定によって浦集落のような自由な建造物活用を行えないことが、活用の契機を損なうことに繋がる可能性も指摘できる。換言すれば、制度的枠組みの外側にあることが、町並みと人々の関係性を存続させる選択肢を与え得るともいえる。
 構成要素の大半が住居及びその付属物で占められ、現在も居住空間として維持されている竹富島集落、小値賀集落では、建設された当時から連続的に建造物が使われているのに対して、字港集落においては、産業の断絶に伴って、産業に由来する多くの建造物が使われない状態にある状況が窺える。しかし、北大東島における社会人口の増加や行政による産業の推進状況を鑑みれば、一度遺棄された施設群であっても今後活用される可能性がある。この状況に対して、燐鉱業自体の遺産ではなく、燐鉱業に由来するものとして、あるいはさらに敷衍して島の生活に関わるもの全体を広く捉えて「文化的景観」に取り込むことで、今後の活用も「文化的景観」の上に位置付け、評価できるように「文化的景観」の価値を定めている点に注目できる。その一方で、笛吹集落にも共通して認められる、行政主導による制度活用や住民における理解の不十分さに対応しなければ、活用に際して、その物件における歴史性を損なう危険性があるといえる。

 

 これまでの検討を整理すると、伝建地区制度は、その選定を活用することで、観光に対して適性が認められる地区においては、住民が主導する形で町並みの保全と観光産業の推進の両立を可能にする一方で、人々の居住の継続を支える十分な産業がその地区にない状況であっても比較的町並みを荒廃させることなく維持させることも可能であることが窺えた。その一方で、伝建地区制度が伝統的な町並みの維持に一定の基準を与えることで、文化財としての町並みの価値の維持には寄与するが、建造物等に対する改修の自由度を狭めることで、結果として町並みの活用を滞らせる可能性を内在させていることを、「重伝建地区」と非選定の地区での取り組みとの比較を通じて見出すことができた。また、文化的景観の制度は、町並みを島全体の様々な要素との関連の中に位置付けている例、産業が衰退した後の活用も景観の価値に位置付けている例にも認められるように、「重伝建地区」と比較して、伝統的町並みをより広い枠組みで包摂し、幅広い歴史性のあり方を許容しているものと捉えられる。また浦集落に着目すれば、制度外であることが有効に機能し、現状の町並みに内在する、歴史性だけではない価値を認めた人々が町並みの維持と活用に関わっている現状も見受けられる。従って、非島嶼地域と比べて生活に関する条件が一般に不利である島嶼地域において町並みを保全していくためには、将来的に人口減少によって居住者がいなくなる可能性を考慮しながら、歴史性だけに囚われない柔軟な活用可能性も踏まえた制度選択を、現行の法制下では行っていく必要がある。
 また、「重伝建地区」では、それぞれ住民による町並み保存団体が設立され、行政以外の主体における活動が認められる一方、「文化的景観」でも、主に町並みの保全を行政が主導する住民の意識啓発がみられたように、伝統的町並みとして保存の必要性が認められている歴史的な痕跡や希少な意匠、地域的特性等の要素に対しては、住民との価値観の共有が求められているといえる。この点については、前年度調査でも着目したような調査研究と物件の活用を並行して進めていくことで、地域の担い手として、町並みを活用する組織を養成していく必要があると考えられる。

 


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