太平洋戦争下ハワイの捕虜収容所・終戦直後のハワイ社会―沖縄人捕虜の視点から

 

研究者:秋山 かおり(国立歴史民俗博物館) 

 

【平成30年度 共同利用・共同研究実績報告】

研究成果

研究の目的と背景
 本研究では,太平洋戦争下の1945年6月頃から,ハワイの捕虜収容所において収容された沖縄県出身の捕虜(以下,沖縄人捕虜)の視点から,沖縄戦からハワイへの移送,ならびに複数の収容所間の移動と収容生活を踏まえて,戦争の終結を挟み変化したハワイの社会の様相を提示することを目的とした。
 2016年頃から沖縄県内では,「ハワイ捕虜」と呼ばれる人々に対する関心が高まっている。とりわけ,沖縄人捕虜のうち,ハワイで亡くなった方々のために現地で慰霊祭を行ったことなどをきっかけに,パブリックヒストリー(市民が考究する歴史)においては,当時,現地で沖縄系移民が収容生活を送る沖縄人捕虜への物資提供や心理的な援助が注目され,両者の良好な交流に収斂されやすい傾向がある。この傾向は先行研究にも共通している。しかし,戦時下・戦争直後と継続した沖縄人捕虜とハワイ社会との関わりは,複雑な諸相の中での体験であることを本研究は再定義しようとした。

 

研究方法
 オーラルヒストリーを中心に,沖縄人捕虜のハワイ移送と収容の全容,また捕虜収容所に関する詳細をそれぞれ把握するため,すでに面識のある沖縄県在住の捕虜体験者(延べ6人)と親族(延べ3人),初めて面会した1人を含む捕虜体験者の遺族(2人)への聞き取り調査を行った。また,「ハワイ捕虜沖縄出身戦没者慰霊祭実行委員会」の関係者と捕虜体験者を交えての会合を持ち,座談会形式で聞き取りを行った。他方,収集した文献資料には,沖縄県文書館にて沖縄戦関係の米国海軍資料,米国陸軍憲兵局作成の捕虜名簿,沖縄県立図書館にてハワイでの沖縄人捕虜から現地の移民へ送られた書簡(複写)が挙げられる。

 

研究成果
 成果の第1は,多数の沖縄人捕虜が収容されていたオアフ島二箇所の収容所(ホノウリウリ・サンドアイランド)の収容区域の特定ができたことである。この成果は,考古学者作成の地図とともに,論文で発表した。現在,ホノウリウリ収容所跡地の史跡化が進行中であるため,その事業への貢献となりうる。さらに論文では,捕虜が労働力として選別された過程,またストライキの実行とそれにともなう処罰などを一次資料とオーラルヒストリーを照合して実証した。
 また,第2に,沖縄人捕虜と現地沖縄系移民の交流について掘り下げた分析を行った結果,同胞意識を媒体とした二者間の交流だけでなく,日系やハワイの民間人も交流対象に含まれていた実態が浮き彫りになった。例えば,沖縄人捕虜が接触した現地移民のうち,「二世」と語られるのは,日系と沖縄系が識別できる。つまり,捕虜の親戚,同郷出身者だけでなく,様々な日系人が当時置かれた立場の上で,沖縄人捕虜に対して行った介入・援助の方法には多様性が見られた。それらは,作業場で就労していた日系人,米軍兵士として通訳をした日系人,慰問団として収容所を訪問した日系人などである。一方,当初予想した「勝った党」(太平洋戦争に日本が勝利したと信じた少数のハワイ移民)との接触は,捕虜体験者から語られなかった。以上のような当時の社会状況を反映した接触・交流の多様性が,沖縄での歴史の共有において影を潜めやすいことをどう評価するのか,今後はさらなる検討が必要であろう。
 他方,戦争終結直後だけでなく,収容体験が契機となって戦後にも継続していた人間関係,あるいは人生における捕虜収容期の再認識を行うかのようなオーラルヒストリーも収集した。それらは,捕虜収容所でハワイに移民していた親戚と再会し,戦後にも交流を持ったり,捕虜体験者が自発的にハワイを再訪したりした事例である。こうした当事者の語りから,本研究で設定した時期区分だけで収まりきらない,捕虜体験の共有が持つ今日的な意義を考究する機会を得た 。

 


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