島嶼部における歴史的街並みにみる景観保全制度の影響

研究代表者:藤田 康仁(東京工業大学環境・社会理工学院建築学系都市・環境学コース)

共同研究者:波多野 想(琉球大学 観光産業科学部)

共同研究者:服部 佐智子(東京工業大学)

共同研究者:畔柳 知宏(東京工業大学環境・社会理工学院建築学系都市・環境学コース)

【平成30年度 共同利用・共同研究実績報告】

研究成果

1. 研究の目的 島嶼地域は,一般に海洋資源を中心とした豊かな自然環境を保有する一方,本土や島嶼間の往来が容易でないという共通の自然的・社会的要件から,個々の島々に固有の歴史と文化が形成されている。特に大規模な開発が行われてこなかった,都市部からの遠隔地に位置する島嶼地域には,それぞれの歴史と文化を背景に,生活の蓄積として形成された独自の町並みが多く残されている。我が国における島嶼地域においては現在,こうした町並みや景観を地域資源とみなし,様々な方法でその保全が進められている。その一方で,伝統的建造物群保存地区制度や歴史的風致維持向上計画のように,特徴的な町並みや景観を制度により囲い込むことで保全の対象とし,その活用が目指されてもいる。地域への移住の促進や観光地の魅力化等と関連づけられながら,町並みや景観の保全が計画されていく昨今の風潮を踏まえれば,地域の仕組みや関係主体の意識に,上述のような保全制度がどのように影響するのか,あるいはそうした影響が景観に対してどのような変化をもたらすかを理解することは,地域社会が今後目指していく地域の将来を考えるに際し,一定の指針を示す点で重要と捉えられる。 そこで本研究課題では,全国の町並みや景観の保全を目的に,文化財保護法によって制度化された枠組みである,重要伝統的建造物群保存地区(以下,「重伝建地区」)及び重要文化的景観(以下「文化的景観」)の各制度を対象に,実際に制度運用や町並み活用を行う保全関係者の活動に着目し,関係者の活動経歴や現在の活動内容,制度の適用に伴う調査や修理事業の実施内容の相違点の把握・検討を通じて,制度と町並み保全の関係を理解する一助とすることを目的とする。 本報告では,島幌地域に所在する「重伝建地区」として沖縄県竹富町竹富島集落を,また「文化的景観」として小値賀町笛吹集落の2地区を検討の対象とする。両地区における各制度の運用に関連して,選定前には保存対策調査の実施や保存計画の策定,選定後には建造物等の景観を構成する要素の修理,修理物件の活用がそれぞれ行われていることを踏まえ,現在までの町並み保全の経緯,景観を構成する要素の履歴とその調査状況を把握するとともに,景観を構成する要素の修理,活用に関わる団体に着目した,ヒアリングを含む現地調査を通して現況把握を行い,2地区の対照から,町並みに関わる行政,民間団体の活動や制度自体が町並みに及ぼす影響を考察するものとする。 2. 対象とした島嶼地域の町並みの概要 まず,対象の2地区について,既往研究及び各種報告書に記載された内容,現地での実地調査から,各島嶼地域及び町並みの概要,並びに町並みや歴史的建造物に関わる団体の概要について把握し,下記のように整理した。 <対象1:長崎県北松浦郡小値賀町笛吹集落> 小値賀町は,面積約12㎢の小値賀島を主島とする小値賀諸島全域で構成され,2015年時点で,2396人(小値賀町,『人口ビジョン』,2016年)が居住している。 今回対象とする笛吹集落は,小値賀町における重要文化的景観の構成要素のうち,一連の町並みを構成している地区である。小値賀島の南端部,小値賀港に面した本集落は,現在の小値賀町の行政機能の中心地に当たり,江戸時代には平戸藩の押役所,大官所などが置かれ,平戸藩の五島領地経営の中心地でもあった。近世初頭には既に集住区域が形成され,小田氏による大規模な捕鯨業及び鯨製品製造販売をはじめとする商業が営まれていた。明治時代には,近世の小田氏の事業を基盤に資本家が繁栄し,工場や銀行,劇場などが設立されるに至った。こうした商工業,漁業を基幹産業とする港湾集落として,本集落は昭和30年代まで機能しており,商店街と住宅街を形成する建築群,当時の石造技術による石垣,生活用水として利用された井戸や水路が,集落の構成要素として今日まで残されている。 小値賀町では,2007年に本島東に位置する野崎島の野首教会が,文化庁が選定する世界遺産暫定リストに「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として掲載されたことに伴い,世界遺産への登録に必要な町の歴史的資源の保存方策の一つとして,重要文化的景観選定に向けた調査が実施された。この調査の後(調査成果は,小値賀諸島の『文化的景観保存調査報告書:流通と往来の歴史が育んだ島嶼世界の文化的景観』としてまとめられている) 2011年に笛吹集落,野首教会を含む小値賀島の歴史的資源が重要文化的景観に選定された。今日まで残る笛吹集落の町並みの中では,歴史的建造物,歴史的石垣,石塀,防風生垣,樹木,水路,井戸,ため池等が集落景観構成要素として「文化的景観」における保全対象となっている。 一方,2004年に佐世保市,宇久町との合併に関する住民投票が否決されたことを契機に,一次産業が衰退する同町の産業維持を目的として観光産業の振興が図られ,2007年には,「NPO法人小値賀アイランドツーリズム協会」が発足した。本NPOは2009年から,島内の古民家を改修し,観光客に対して貸し出す宿泊事業(古民家ステイ事業)を実施しており,笛吹集落内においても古民家ステイ事業で,活用する建造物の改修が実施され,現在宿泊施設として運用されている。 <対象2:沖縄県八重山郡竹富町竹富島地区> 竹富町は八重山諸島のうち,有人の9島と無人の7島によって構成され,面積約5㎢の竹富島には,2015年時点,で,人口362人(竹富町,『竹富町人口ビジョン』,2016年)が居住している。本研究で対象とする竹富島の集落は同島の中央部に位置し,1524年に蔵元が創設されて以来,1543年まで八重山の政治の中心地であったことが知られている。近代以降では,明治41年に沖縄県及島嶼町村制が施行され,同島が八重山村の一部となった後,1914年に竹富村が成立してから1938年に役場が石垣島に移転するまで,本集落が村の中心地であった。 同島では,1970年代に島外企業による土地買い占め騒動が発生したことを契機に,当時の住民が主導して,竹富島の景観を残しながら観光地化を計る取り組みが開始された。こうした背景のもと,地域遺産の価値を明らかにすることを目的に,観光資源保護財団の調査が1975年に行われると,島内外に集落景観の価値が認知されるようになり,1986年の公民館議会による竹富島憲章制定を経て,中央部に位置する集落群の全域が1987年に「重伝建地区」に選定されるに至った。 本集落を含む「重伝建地区」では,1987年の選定と同時に認可地縁団体である竹富公民館の下部組織として竹富島集落景観保存調整委員会が設立され,一般に教育委員会等が担う伝建地区制度に基づく修理修景等の保全事業に関して,その審議や意思決定等の実質的な運営(後述)を同委員会が担っている。また,2002年に設立された「特定非営利活動法人たきどぅん」(以下NPOたきどぅん)により,西表島石垣国立公園竹富島ビジターセンターや「重伝建地区」内に位置する喜宝院蒐集館等,観光客に対して情報提供を行う施設の運営が行われている。また近年では,「星のや竹富島」のような島外企業であっても島民と良好な関係を築き,事業を行う企業も現れている。 3. 景観の構成要素の履歴とその調査状況 景観を構成する要素の履歴と現在の状況,及びその調査状況を把握するために,各調査対象集落について,選定に必要な調査報告書及びその後に行われた研究報告から,対象における町並みの構成要素の管理者及び管理方法を抽出した。なお,町並みを構成する要素については,「重伝建地区」または「文化的景観』の各制度が適用されている中で,保存対象とされているものを抽出している。 笛吹集落をみると,保存の対象としている要素の種類が多様であるため,町並みや建造物についての個々の情報が「文化的景観」に関する情報全体の中で相対的に少ない傾向が認められる。また,石積や石垣,防風林についても,「文化的景観」への選定以前の状況把握は,文化的景観選定時の調査によって明らかにされたものに限定されている。この調査では,石積が造成された後にセメント等により補修されていること,家屋や公共空間については,一部の家屋が昭和初期に洋風化されたことを指摘しているものの,建造物の詳細や他の構成要素については,あまり把握されていない。 一方,竹富町集落では,選定前の調査時点で,建造物の間取り図や観光化されている当時の状況等,詳細な情報が記録されている他,選定後に複数の研究者によって「重伝建地区」における建造物やその集落による管理,地域文化等に関する調査が継続的に行われている。これらの調査では,島内で自給できていた家屋のための建材の入手方法が,島外からの調達へと変化していることや,特定の時期にう御嶽の拝殿が石造からコンクリート造に更新されていること等,材料やその産地の変遷,用途の変更が比較的詳細に把握されている。また公共空間についても,結や集落による管理から業者が担う場合が増えていることが明らかにされている。 以上のように,現在「重伝建地区」や「文化的景観」の構成要素として保存対象とされている物件であっても,必ずしもその履歴の全てが把握されているものではないといえる。笛吹集落に比べて,竹富島集落のほうがより詳細に状況把握がなされている点については,選定から年月が経過していることに加えて,制度の性質上,「重伝建地区」選定前の調査時点で各建造物の現況の詳細が記録されたこと,「重伝建地区」の選定により,沖縄における伝統的建造物保全の希少な実践例として同島が広く島外にも認知され注目を集めたこと等から,より多くの調査結果が蓄積されてきたものと推察される。 4. ヒアリング調査からみる各調査対象地区における保全関係主体による取り組み 町並みや建造物の保全,及びそれらの活用や運用に関わる組織として,笛吹集落については,小値賀町教育委員会と「NPO法人小値賀アイランドツーリズム協会」,竹富島集落については,「竹富島集落景観保存調整委員会」,「NPOたきどぅん」の各2組織を指摘できる。これらの組織について,これまでの歴史的資源に関わる活動の傾向と団体同士の役割や関係を明らかにするために,これまでの取り組み実績,各団体発足や取り組みに至るまでの経緯,対象地区内において連携している他組織について,聞き取り調査を実施した。 笛吹集落における町並み保全の取り組みとしては,小値賀町教育委員会が,文化的な景観を構成する重要な構成要素として集落内の個人宅2棟を特定した上で,国庫補助事業としてこれらを買取り,修理を実施している(うち一棟は公開施設として活用されている)。また同町教育委員会では,住民を対象とした勉強会を定期的に開催することで,重要文化的景観の価値について意識啓発を行っている。これまで町並みの保全に関して,行政と民間業者,住民との間に積極的な連携は認められないが,同教育委員会では,住民の勉強会への参加や民間業者の文化的景観保存管理計画策定委員会等への加入を促すことを検討している状況にある。また,町並みの一構成要素である石垣や石積みを修理できる石工職人が,住民の高齢化に伴って島内から消滅したこと,勉強会の実施に際して,退職制度のなく不定休である自営業者が多いことから,住民の参加が期待しにくい点を教育委員会として認識するとともに,懸念を抱いていることがわかった。 一方,「NPO法人小値賀アイランドツーリズム協会」では,島内の観光振興を目的とした事業の一環として,発足のきっかけとなった民泊事業をより幅広く観光客の需要や要求に対応するため,古民家の一棟貸事業(通称古民家ステイ)を実施している。この事業を通じて,教育委員会による修理とは別に,笛吹集落内の民家2棟の修理活用を実現させている。このように「NPO法人小値賀アイランドツーリズム協会」は,基本的には,伝統的な町並みを小値賀町の観光資源の一要素として捉えて活用している状況にありながら,結果として町並みの保全に寄与しているといえる。 ここで,同集落の類例として,2000年に文化的景観に選定された長野県飯山市小菅集落をみると,文化的景観への選定を契機に,行政によって1棟の古民家が観光交流拠点として修理・活用されるとともに,市の観光協会を前身とする信州いいやま観光局が,文化的景観を主題とした観光ツアーを行っている。こうした状況を笛吹集落と比較すると,小値賀島の「文化的景観」地域では,教育委員会が住民に対して積極的な意識啓発活動を実施している点の他,「NPO法人小値賀アイランドツーリズム協会」が「文化的景観」を主題とするよりは,島全体を観光の主題として事業を展開している点で相違が認められ,笛吹集落での取り組みの特色である可能性も指摘できる(長野県飯山市教育委員会「小菅の里及び,小菅山の文化的景観」整備計画,2018;飯山旅々HP: http://www.tabi-tabi.com/plan/kosuge-guide_4123.php, 2019,2,20 最終閲覧)。 続いて竹富島集落についてみると,「重伝建地区」選定を契機に,実質的な自治組織である公民館の下部に,集落景観保存に関する事項を審議するための組織として,「竹富島集落景観保存調整委員会」が設立されている。この「竹富島集落景観保存調整委員会」を介して,修理修景事業における保全対象物件の選定や景観保全に関する事項の審議等がなされ,「伝建地区制度」に基づいた国庫補助による修理事業が実施された結果,1987年の選定以来,2014年までの112件の保存物件のうち約8割が修理されている。こうした長期的な修理の中で,伝統的に住民が自主的に行っていた屋根葺きや石垣積み等の活動が,専門職に依頼する形に移行する現状にある。 こうした状況に対して,「竹富島集落景観保存調整委員会」に所属する住民が中心となり,一部住民とともに,民間団体「竹富島未来づくり実行委員会」を設立し,建築技術や伝統文化の伝承に向けた活動を行っている。ただ,住民には自営業者が多いこと,移住者を中心として,伝統文化の保存に対する意識に個人差が生じていることに起因して,継続的,全住民的な活動に繋がっていないという。また近年では,島外の観光事業者である「星のや竹富島」と協働し,「竹富島集落景観保存調整委員会」の構成員が,事業者の施設内に設けられる伝統的な石垣の造成を監修する動きもみられる。一方,NPOたきどぅんは,「竹富島集落景観保存調整委員会」及び竹富公民館を支援することを目的に設立された組織で,地域文化の体験ができるツアーの運営や,西表島国立公園竹富島ビジターセンター「竹富島ゆがふ館」や民芸品等を展示する喜宝院蒐集館の運営を行っている。このように,町並み保全の実践にまつわるこれらの組織は,互いに役割を分担しながら,住民の主導による保全活動を支えているといえる。 ここで,島嶼地域における「重伝建地区」の類例として,平戸市大島村神浦地区(2008年選定)をみると,2008年から2017年までに32件の修理修景事業が行われている。2013年には「平戸市大島村神浦伝統的建造物群保存地区交流拠点施設」が設立され,地区内にて小学生の郷土学習,修理物件を活用したコンサート等を実施している。また,選定前の2004年には,住民によって歴史的町並みの価値を学ぶことを目的に「町並み保存勉強会」が発足しており,現在は「あづち大島たからもんの会」として町並み保全活動を続けている。こうした町並みの保存活用状況を竹富島集落,笛吹集落と比較すると,大島村神浦では住民による自主的な活動,竹富島集落では実質的な伝建地区制度の運用,小値賀町では行政による勉強会と,それぞれ形式は異なるものの,町並みの保全に対して住民が関与する機会を用意している点では,各集落に共通した取り組みといえる。 (文化庁HP: http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokaj/hozonchiku/judenken_ichiran.html ,2019.2.20 最終閲覧)。 5. まとめ 調査結果を概観すると,それぞれの契機は違えども,両集落には,観光産業の振興を一つの目的とする町並み保全制度の活用や住民の保全活動への関与等の現状に類似点が認められる。これは島全体の協力体制を構築しながら,限られた地域資源を保全し,産業にも活用しようとする,島嶼地域における生活や地域社会を持続・存続するための狙いや意識が,両集落に通底し,その方策として表れているものと推察される。また,実際の修理の担い手不足,住民による保存活動への参加不足等の課題が発生し,それらが認識されている点も両集落に共通している。 これに対し,両集落間の遣いとして,笛吹集落では,文化的景観への選定の際に町並みの総合的な状況把握が行われてはいるものの,町並みの構成要素や管理方法などを明らかにし,その歴史的な価値を示した調査研究の件数が,竹富島集落に比べて少なく,共有された町並みに関する情報も多くない点を指摘できる。これは,竹富島集落の方が,そもそも選定から経過した年月がより長いことに加え,島外による同集落の認知度が「重伝建地区」の選定に伴って高まったことや,「重伝建地区」選定時の詳細な調査がその後の調査研究蓄積の基盤となり得たこと等が関係しているものと推察される。 こうした状況にあって,笛吹集落では,教育委員会が町並みの保全上必要と認めた建造物を修理した上で,民間業者との連携や住民の保全意識の啓発を通じて,歴史的な町並みに対する一定の価値観の共有を目指している。その一方で,民間業者については,行政とは独立的に町並みに関与しながら,必ずしも町並みの歴史的な価値に拠らない,「現在の島」を体験することを主眼とした観光の推進を図っている。このことは,「文化的景観」の対象範囲が広いために町並みに関する調査情報の蓄積が少ないことにも起因して,竹富島集落のような歴史的価値を観光資源化する方向には進んでいないことを示しているといえる。すなわち小値賀町では,町村合併の否決を契機として目指された島全体の観光地化を背景に,観光振興を実質的に主導しているNPOにより活用され得る観光資源の一要素として集落の町並みが位置付けられることで,行政の活動や町並み保全制度とは切り離された集落の活用がなされているとみなすことができる。 竹富島集落では,「重伝建地区」への選定を契機に,町並みの構成要素の履歴や地域文化が,選定後30年という年月をかけて今日までに明らかにされてきたといえる。「重伝建地区」への選定後,町並みや地域文化を保全する目的の下,行政の下部組織や民間組織が地域社会に支えられる形で設立・運営され,住民を巻き込んだ町並みや地域文化の保全活動が企図されるようになった現状からは,地域文化の内容やその価値を一定程度理解し,共有する意識が住民の聞で醸成されているものと推察できる。すなわち竹富島集落では,「重伝建地区」への選定を契機として,また保全に有効な情報の蓄積と共有を基盤に,住民が関与する保存組織の設立,修理事業の実施が連動的に実施されたことによって,結果として,町並みの保全や地域文化に基づく観光振興等において,行政,NPO,住民が連携しやすい状況を構築してきたものと捉えられる。 以上を踏まえると,「重伝建地区」では,建築物の保全という,保全対象が比較的明確な制度を起点とした調査研究とその蓄積によって,その歴史的価値を十分に意味付けられてきた点に依拠して町並みを活用しやすい状況が生まれるとともに,「重伝建地区」の運用を目的とする組織に住民が組み込まれることで,行政,住民,民間組織の連携体制を構築する方法が町並みの保全を円滑に進めることができる可能性を指摘できる。こうした行政,住民,民間組織の体制は,住民による町並み保存運動を創設の端緒とした「重伝建地区」制度で目指されていた,住民が主導する町並み保全体制の実現と見倣すこともできる。その一方で,笛吹集落の事例でみたように,制度に依拠して枠組みを設定するのではなく,民間組織が歴史的町並みを含めた島嶼の資源全体を包括的に活用する観点と方法に基づいて産業の振興を行うことが,結果的に島嶼の持続的なまちづくりに繋がる可能性も指摘でき,従来想定されていなかった住民と歴史的町並みとの関係性が現れているものと捉えられる。今後の町並みの保全方策のあり方の観点からこの活用方式を捉え直せば,2つの方法の両立,すなわち制度に裏付けられた町並みの保全が進められる一方で,地域住民が主導的に関係しつつ,産業振興を図る民間事業者が保全された町並みの活用を行うことで,歴史的価値の共有,保存とそれを担う集落の存続が連動的に実現できる可能性が示されているといえる。


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