島嶼地域における自治体主導型学習支援事業の効果検証

 

研究代表者:佐久間 邦友(日本大学文理学部)

共同研究者:本村 真(琉球大学法文学部)

共同研究者:高嶋 真之(日本学術振興会/北海道大学)

 

【平成30年度 共同利用・共同研究実績報告】

研究成果

研究目的・方法
 本研究の目的は,島嶼地域に暮らす児童生徒への学習支援のあり方を検討するため,島嶼地域の地方自治体が実施する学習塾などを活用した学習支援事業を実証的に分析し,それによって生じる児童生徒の学力・生活に関する変化及び学校に与えた影響を明らかにする。そして,学習塾等を活用した学習支援事業の支持基盤に関する理論的考察によって島嶼地域に暮らす児童生徒に学力向上・保障に関する学習支援事業の効果的事業モデルを提示する。
 具体的には,沖縄県北大東村において義務教育段階の児童生徒へ行われている学習支援事業:村営塾「なかよし塾」の事例分析を通して,①学習支援事業の実態,②事業による学校等への影響,③児童生徒への効果を明らかにする。

 

研究結果
(1)北大東村の概要と教育環境
①村の概要
 沖縄県北大東村とは,沖縄本島の東方約360kmに位置する村である。村は,北大東島と沖大東島(無人島)で構成しており,北大東島は周囲約14kmの島である,気候は亜熱帯海洋性気候に属し,一年間通して温かく,降水量は少ないものの,頻発する台風によってもたらされている。
 北大東島の上陸は,1903年。開拓後は,玉置商会を頂点とするプランテーション的な経営が行われ,主に燐鉱石採掘事業が行われた(1911年に廃止)。玉置商会から島の経営権を受け継いだ東洋精糖株式会社が島を統治する。最盛期には台湾などからの出稼ぎ者で島の人口は,約4,000人まで膨らんだ。
 戦後の1946年には,米軍政府により大日本製糖から南・北大東島が接収される。つまり,村制が施行されるまで,島の経営権を得た民間企業が,製糖業・燐鉱石採掘の運営,社員や労働者の出入りの管理,生活物資の流通,教育・医療・治安などの公的サービスの提供,娯楽の確保など,全て民間企業を統制していた。しかし燐鉱石採掘事業は衰退し,甘蕉農業へと転換し,サトウキビの島へと転換した。


②北大東村の教育環境
 北大東村には,現在,大東幼稚園と北大東小中学校が設置されている。村内には高等学校は存在せず,中学校卒業後はほとんどの子供たちが沖縄本島の高校へと進学している(15の春)。北大東小中学校は,1918年,私立南大東島尋常高等小学校北大東島分校として設立されたことにはじまる。第2次世界大戦中,全国の小学校は国民学校と改称されたが,南北大東島は私立であったため国民学校の名称が許可されず,北大東島錬成学校と改称した。1952年に校名を北大東小中学校と改称し現在に至っている。
 小学校は,1・2年,3・4年,5・6年の複式学級で,中学校は全学年において単学級で編成されている。教職員は,幼稚園,調理員を含め31名であり,同規模の単独小学校と比較して教員数が少ない。

 

 

(2)村営の学習塾「なかよし塾」
①「なかよし塾」の設立の背景と実態
 「なかよし塾」は,ふるさと創生事業の一環として,1993年から実施されている学習支援事業であり,1998年に国土庁の過疎地域活性化優良事例において「国土庁長官賞」も受賞している事業である。
 1991年,北大東村学力向上対策委員会が行ったアンケート結果によれば,普段の家庭学習の時聞が1時間以内と回答した小学生が全体の65%,中学生が47%であり,家庭学習が習慣化されていないことが明らかになった。そこで本島との学力格差を懸念して,学習習慣を身に付けることを目的に「なかよし塾」が開設された。
 1992年4月からの開塾に向けて,琉球新報及び沖縄タイムスで講師(学校を定年退職した方で,北大東で生活しながら,子供達の家庭学習の手助けをするという条件に該当する方)を募集したが見つからず,1992年12月に全国紙にて講師を公募し採用し1993年4月に開塾に至った。
 2018年現在,「なかよし塾」は小学生週2日,中学生週2~3日開講され,子供たちはそれぞれ1回あたり2時間の学習指導を受けている。2013年からは,東大生によるオンライン双方向授業による指導を行っている。

 

 

②「なかよし塾」と学校教育との関係
 「なかよし塾」と学校教育の関係は,友好的な関係にあるといえる。「なかよし塾」には専任の塾長がおり,教育委員会と委託先の学習塾とのパイプ役として円滑な学習環境を保持している。また学校関係者も「なかよし塾」に対しては,好意的な印象を持っていること,また新任教員に対しては,校長が「なかよし塾」について説明していることがインタビュー調査により明らかになった。
 また,学校の補助員が「なかよし塾」においてもサポート役として子供たちの学習指導に当たっており,このことも学校との関係が友好的になるポイントになっていると考える。つまり,学校の補助員が子供を見守る,学校と塾をつなげるキーパーソンとして活躍しているといえる。


③「なかよし塾」による児童生徒への影響
 1993年の開塾以来,小中学校での達成度テストの成績が向上し,加えて子供達が英語に接する機会が増えたことで,英語に親しむようになってきた。更に,あいさつや身のまわりの整理整頓など生活面での向上も見られる。これは,学校教育と塾での教育とが相まって効果を上げてきているものと考える。


④「なかよし塾」の課題と対応
 開塾当初は,子供達のお菓子の持ち込み,身のまわりの整理整頓,あいさつなどで不十分な点があったが,当時の講師らの指導により向上してきた。また,塾の勉強は学校行事・村行事を優先しているため,学校との相互の連絡や連携を怠らないようにしている。しかしながら,1999年当時,今後の課題として以下の4点があげられていた。
 ①家庭学習の更なる定着を目指すために,TV視聴時間と家庭での過ごし方を把握して対策を講じる必要がある。
 ②文章の読解力の向上を重点的に行なう必要がある。
 ③昨年度,第l回英語話し方コンクール(人材育成会主催対象は中学l,2年生)を開催したが,今後も継続して会の運営とスピーチ力の向上を図っていきたい。
 ④行政機関や地域,学校との連絡会を持つなど,各方面との連携強化を図っていきたい。

 

 また参加者数という課題もあった。2007年6月末該当者の78%あった入塾率が,2009年12月末には,32%と2年半で大きく落ち込み,出席率の悪さも相まって塾の存続そのものが危ぶまれている状況にあった。そこで,充実感や満足感を味わうことのできるような子供達のニーズに沿った塾運営をどうすればよいか,教育委員会はなかよし学習塾運営審議会の意見を拝聴し検討を重ね,授業料の値下げや授業日の日程変更など2010年4月以降の塾の運営を一部見直した。
 2013年からは,東大生によるオンライン双方向授業による指導になり,現在に至っている。

 

(3)公営塾とコミュニティ
 「なかよし塾」が開塾され,学習や進学に対する親子の意識が高まり,大学への進学者も増加しているという。しかしながら,高等学校や大学がない北大東村において,子供たちの学力向上施策は,言うなれば「村を(から)出て行く学力」を育む施策とも捉えることができるが,高校進学率の向上を考えてみると,北大東村に生まれた子供たちにとって本島の高等学校に進学し村・島を離れる「15の春」は必然であることから,この事業は,本島の高等学校に進学するために必要な事業といえよう。
 次に,学習や進学に対する親子の意識が高まりや大学への進学者も増加に対して,塾の効果と住民は評価していた。過去には塾生の激励のために焼き肉会なども開催されていた。そのため島コミュニティのなかに「なかよし塾」が学校とは別の教育機関として共存していたと推察する。加えて「なかよし塾」は,村営塾であることから,1つの公共施設として捉えることもできるであろう。
 また,島の子供たちが触れ合う大人の数は限られている。現在,東大生によるオンライン双方向授業による指導を子供たちは受けている。講師との交流は,画面を通した交流が主となるものの,実際の授業を観察したところ,授業の前後を含め濃密な交流をしている。加えて講師の大学生の夏期休暇中には,講師が北大東島を訪問し,子供たちと交流をしている。そのため,「なかよし塾」は,ICT機器を活用したソーシャル・キャピタル構築の一助となっていると考える。
 最後に,北大東に暮らす子供たちとっての居場所は,家庭か学校の2択である。そのため,「なかよし塾」のような信頼できる大人の見守りがある環境は,家庭と学校の中間に位置する2つの領域に挟まれた一種の子供たちの放課後の居場所(サードプレイス)の保障といえよう。

 

 


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