日米による沖縄占領と南洋群島引揚者の生活実践 ―ライフヒストリーの視点から―

 

研究者:森亜紀子(京都大学大学院 農学研究科)

 

【2019年度 共同利用・共同研究実績報告】

研究成果

本共同利用による実施内容および得られた成果
 本研究では、帝国日本の敗戦以後、郷里・沖縄へ引き揚げてきた南洋群島引揚者(南洋帰り)の人々のライフヒストリーを辿ることを通して、<日米による沖縄占領>と<近代沖縄の帝国経験>とが人々の生を結節点として複雑に絡まり合い、展開されたあり様を明らかにするのを課題とした。具体的には、本個人型共同利用研究費を利用し2019年9月3日~15日まで那覇・うるま市・大宜味村で南洋帰りの人々とそのご家族へのインタビュー調査及び那覇市立歴史博物館・うるま市立歴史民俗資料館で、南洋群島引揚者の戦後史に関する文書史料調査を行った。
 最も成果があったのは、首里生まれで、南洋庁職員の夫との結婚を契機として1930年代中頃に南洋群島のヤップ島へ渡り、その後パラオ諸島・テニアン島で暮らした経験を持つ故・徳村光子氏の娘さんへの聞き取り調査と徳村光子資料(那覇市立歴史博物館)の調査である。光子さんは、戦中にテニアンから本土へ引き揚げた後、終戦後に焼け跡となった首里(沖縄)を復興させるべく、「戦争未亡人」等経済的に困窮していた女性たちを集めて洋裁学校を立ち上げ、後に米兵の土産物用に琉球人形・ポストカードを販売する首里婦人手芸同好会(SHURI WOMEN’S HANDCRAFT CLUB)を運営した人物であるが、今回の調査で次のような彼女の活動の背景・社会状況が分かった。①1920年代以降の蘇鉄地獄~慢性不況のあおりを受けて首里で酒造業を営んでいた旧士族がこぞって南洋群島へ渡ったが、光子さん(湧稲国家)とその夫(徳村家)もまた、その流れの中で南洋へ渡航し、甘蔗栽培・鰹漁など肉体労働に従事することの多かった沖縄出身者を県人会活動等でまとめる役を担ったこと、②湧稲国家(光子さんやきょうだい)は他の旧士族と同様に首里で布教を行っていたメソジスト・カトリック教会の影響でクリスチャンになる者が多かったが、光子さんにとってはクリスチャンであったことが、17世紀からスペイン支配下でキリスト教の影響を強く受けていた南洋群島島民に親近感を抱く大きな理由になっていたこと、③米占領下の首里に引き揚げた後も、米軍のキリスト教布教政策との関連から光子さんがクリスチャンであったことが米軍への琉球人形の販売量を伸ばす上でも光子さん自身の心理的葛藤を緩和する上でも大きく影響していたということ、である。調査を行う以前は、帝国日本の南洋群島支配・アメリカ帝国による沖縄支配の折り重なりと個人の諸実践(人生)の絡まり合いという観点しか持っていなかったが、それらを媒介するキリスト教(人の心を捉える宗教)・首里(地域)の歴史経験という要素も交えて検討していくべきことが明らかとなった。

 


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