旧和宇慶家墓の人文学的調査研究
研究者:牛窪彩絢(東京文化財研究所)
【2019年度 共同利用・共同研究実績報告】
研究成果
本共同利用による実施内容および得られた成果
本研究では、石垣市の旧和宇慶家墓(平成12年重要文化財指定)の文化財としての価値付けを更に明確にすることを目的に、築造経緯や葬制など、現時点における人文学的な不明点を調査した。具体的には、(1)旧和宇慶家墓に関する情報の整理、(2)沖縄地方の葬墓制などに関する文献調査、(3)2019年11月14日~22日におけるフィールドワークによる聞き取り調査・比較調査を実施した。
上記(1)によって、これまで主に石垣市役所の各担当者や文化庁等に散らばっていた資料や情報を収集することができ、解明点と不明点を明確にすることができた。この点は後述する当研究所刊行の報告書にも記したため、今後研究者にとっても有益となる情報の公開を行うことができたと考える。
上記(2)によって、同墓が沖縄地方はおろか、八重山諸島の葬墓制の歴史にも単純には照準しない特異な形式の墓であることが確認できた。また、同墓が築造されたとされる17世紀前後の沖縄地方は、社会や人口動態に大きな変革があった時期であり、葬墓制も多種多様となる正に過渡期にあたることがわかった。そのため、同墓を価値付けする際、この時代背景を踏まえて考える必要性を確認した。また、当初は、「同墓が1771年に発生した明和大津波によって甚大な被害を受けた結果、墓の形状ないし当時の所有者の死生観に影響を与え、現在に見る特異な形に築造された」という作業仮説を検証することを足掛かりとして調査を開始したが、同墓まで津波は到達しておらず、また、石垣島には津波によって墓の形態が変わった類例が乏しく、影響関係は希薄と考えられることがわかった。
上記(3)によって、旧和宇鹿家墓の墓室内部にも入り、同墓の築造経緯や石棺の用法について検討を行った。また、沖縄本島と石垣島において20を超える近世墓を視察し、比較調査を行うと共に、考古学・史学・民俗学など、多岐にわたる沖縄研究者と意見交換を行った。その結果、旧和宇慶家墓の築造がもっと後世である可能性や、元は一次葬の個人墓を想定して造られたが後に家族墓として使用されたと考えられること、玉陵の影響を受けている可能性等、検証材料を得た。また、洞穴墓に安置された1基の石棺は、蔵骨器ではなく人を仰臥屈葬する装置であるという作業仮説を得た。同墓のどこに最も価値があるかの結論を出すには至っていないが、石棺とその葬法が石垣島の伝統を受け継いでおり、価値が高いと言い得る可能性を見出すことができた。